森野和泉「THE ARCHITECTURE AS IMPACT」
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—2020.04
私は良い建築が作りたいと常々思っている。良い建築とは、時代が移ろいゆくとしても、その建築がその建築であると認識される部分が揺がない建築である。例えば、サヴォア邸もトゥーゲントハット邸も幾度となく所有者が変わり、廃墟同然の時期を経験しているにもかかわらずその建築的価値は今だ顕在である。では、変わらないものとは何か。私の卒制は変わらないものを探すことから始まった。
—2020.06
クプラーやアレグザンダーの解析は、対象をそれ以上細分化できないオブジェクトまで分解して本質を探る科学的な方法であった。しかし、本質はオブジェクトではなく、その統合論である。そしてオブジェクトを統合し、それが豊であるための理論は論理化できないという結論に至った。岡潔やポラニーの考えるように、最終的には自己(の身体)に一存する。
—2020.08
卒制が建築家としてのマニフェストであるとすれば、私の信じるものは私自身ということになる。私が私であることの根拠はどうすれば得られるのか。そもそも、岡崎乾二郎が言うように「自分が見ている青が自分が見ている青と同じであると証明することはできない」はずである。本来人間は細胞レベルで不連続であり、交換可能な複数の自己の存在を受け入れることで逆説的に自己の連続性を保っている。自己の不連続性を受け入れながらそれを創作とすることはできるか、という命題をいかに建築として解くかがこの研究の本質である。
—2020.11
自己を対象化するために「視点」という概念を取り入れる。そして、視点を統合するための方法論を創作とすることにした。この創作で空間ができるか、それ以前に形に結実するのか確証は最後の段階まで得られなかった。
—2020.12
透視図や平行投影法に用いられる次元変換に着目し、全ての形態を対象とする変換関数の提案とその関数を用いた変換の検証結果を現時点の成果とする。
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講評:「表現(signifiant)」と「内容(signifié)」、あるいは「視覚の対象」と「知覚する概念」の両者の同一化を疑うことこそが、芸術的創作の源泉ではなかったか。森野君の卒業設計は、この問題を私たちに問いかけ直すものであり、同一化への疑いそのものがテーマとなっている。そして彼女は、この「疑われた世界」の像を、新しく生み出した「3つの世界」として見事に投影する。この提案の飛距離は、私たちの想像より、おそらく遠い。(古澤)
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